構造エンジニアという職能の誕生 - エッフェルの橋が先か,パリの機械館が先か

ポルトのドウロ川(Douro River)には,大きな橋が6つ架かっていますが,その中でもマリア・ピア橋(Ponte Maria Pia)はギュスターヴ・エッフェル(Gustave Eiffel)が設計した橋として有名です. 錬鉄製の2ヒンジアーチ橋で,リスボンに向かう鉄道路線のための橋でしたが,1991年にその役目を隣にかかる橋に受け渡し,現役としては使われていません. 1875年に国際コンペが行われ,エッフェルが一位を取りました.水面からの高さは約60m.川の中に橋脚を立てるよりも,160mという当時世界最大のスパンを飛ばしたほうが経済的になるという試算でした.エッフェルの設計案は最もコストが低く、2位のプランと比べても31%も安かった.2位の案も同じくアーチ橋でしたが,スパン中央の一箇所で桁を支えるためだけにアーチを使用していました.一方,エッフェル案では複数の鉛直材で桁を支えるシステムとして,アーチをより合理的に使用しています. また,後述しますが,アーチの足元をヒンジにした点も経済的には大きなアドバンテージになりました.アーチの梁せいは足元から上に向かって徐々に大きくなっていき,橋を横から見ると三日月型になっています. 一方で横幅は,足元で最も大きく,上に向かって徐々に小さくなっていきます.足元で踏ん張るという形で,風荷重など横向きの荷重に足しても合理的なフォルムになっています.エッフェル塔を挙げるまでもなく,この合理的な3次元のフォルムの美しさこそがエッフェルの真骨頂だと思います. エッフェルは当時若干43歳.この橋が彼にとって初めてのフランス外でのプロジェクトになりました.世界最大のスパン長という条件に対して,2位以下を大きく引き離す高い経済性を,美しいフォルムで提案し,それを実現させた力量はただただすごいの一言. この橋はずっと前から見たい橋の一つでした.理由は,この橋の質が高いからというだけではなく,この橋について昔同僚と議論したことがあるからです. 話はベルリン工科大学在籍時に「Tragwerkslehre」という授業のお手伝いをしていた時に遡ります.意訳すれば「構造デザイン講義」とでも呼ぶべきこの講義は,建築や橋梁のフォルムや構造,その歴史的発展を写真やスケッチなどで解説するものでした. 構造力学や材料力学といった「理論」をいかにして,実際的な「フォルム」へと翻訳するかという点において,構造デザインの教育上では非常に大きな役割を果たしていて,シュトゥットガルト・スクールでは,レオンハルトの同僚であった建築家Curt Siegel(クルト・ジーゲル)が始めたと言われています. その講義の中で,ヨルク・シュライヒは,1889年のパリの機械館(Galerie des machines)に,構造エンジニアという職能の誕生を定義しているという解説がありました. 構造エンジニアという職能の誕生をどう定義するか?...

やわらかな剛体 - ケーブル・ネットによる巨大アート作品

個人的な話になりますが,以前,可動構造物を研究しているときに,折り紙研究者の舘さんと建築家の岩元さんと協働で「やわらかな剛体」というものをコンペで提案したことがあります. 建築・土木構造物は,外力に対抗するために剛性を必要とします.つまり「やわらかな剛体」というのは相反する意味合いを意図的に組み合わせた名前でした.構造物の可動性は,剛性をどうコントロールするかという問題に行き着きます.しかしながらそれは,建築や土木の規模の構造物では簡単に解決できることではない.結果として,可動式の屋根や橋のほとんどは,実にプリミティブなシステムのものに限定されます. 可動式のものに限らず,こうした「やわらかさ」を求めたデザインは,近年特に学生の手によるパビリオンなどでよく見ますが,そのほとんどのものが残念ながら構造物としては質が高いものにはなり得ていません. 前置きが長くなりましたが,ここからが本題. 先日,こうした「やわらかさ」を大規模な構造物として実現したアート作品を見る機会がありました.アメリカ人のジャネット・エシェルマン(Janet Echelman)の作品「She Changes」.ポルトガルのポルトの海岸沿いに建てられました. ラウンドアバウトの中央スペースの,高さ30mほどの宙に浮かんだネットが,風に吹かれてゆらぎ,実に不思議な印象を見る者に与えます.直径約45mと,これだけ大規模なもので,これほど「やわらかい」ものはなかなかお目にかかれません. 放射状にケーブルで補剛された,いわゆるスポークホイール型の鋼製のリングが,周辺に立てられた3本のマストで引っ張り上げられています.PTFE製のネットはリングの外周と中心で支えられています.「剛」の静止したリングと「柔」のネットを組み合わせて,「やわからな剛体」を実現しています. 構造解析ができるエンジニアをなかなか見つけられず,最終的にはヨットレースの帆を設計している航空エンジニアを見つけて,ようやく実現に漕ぎ着けられたそう.完成は2005年なのでもう10年以上問題なく建っているようです. アーチストによると,インドでの展覧会を間近に控えて,届くはずの自分の作品が届かないという逆境に,このネットで吊るという作品のアイデアが閃いたそう.海辺を歩いていて漁師が網を使っているのを見て,網であれば材料も,お金もかけずに巨大な彫刻作品を作れる,と.少ない材料で経済的にそして効率的に大スパンを覆うという,まさに軽量構造の利点とのシンクロが面白いですね. 一点だけ気になったのは,これが恒久的なアートのインスタレーションとして本当に適しているのかという点.完成から10年以上経っていて,老朽化が目につきました. 特に気になったのはカラーリング.リングやネットの赤色はおそらく完成当時はもっと鮮やかなものだったでしょう.おそらく今よりももっと人目を引く作品であったはず.彼女の新しい作品の写真をネットで見ると,どれもできたばかりのものは色鮮かやで,とても魅力的に見えます.当然ながら,外に建てられた構造物はどんどん老朽化していく宿命にあります.カラーリングの,特に彩度に頼ってしまうのは,この種のものとしては危険であるように思いました. [基本情報] 名称: She Changes 完成年:...

橋はまっすぐ架けるべきか - コインブラの歩道橋からセシル・バルモンドとは何者かを考えてみる

ポルトガル第三の都市,コインブラにかかる歩道橋「ペドロ・イネス(Pedro eInês)橋」を見てきました. モンデゴ川(Rio Mondego)は,緩やかな流れの川ですが,冬に度々洪水を起こします.そこで必要とされる大きな洪水域を,普段は緑地公園として使うために,一帯が整備されました.この橋はその整備の一環で架けられました. この橋は2006年の竣工当時だいぶ話題にになりました.私のまわりはエンジニアばかりでしたので,批判の方が大きかった記憶があります.理由は言わずもがな,立面で見れば普通のアーチ橋なのに,橋を真ん中で切って平面でずらしている点です.これにより余分な力が発生するので,力学的合理性や経済性という観点からはなかなか理解し難い. この不思議な橋を構想したのは,当時ARUPのスター・エンジニアであったセシル・バルモンド(Cecil Balmond).エンジニアがこういう不合理な発想をするものかというのも,一つの議論の的でした. バルモンドのスケッチやメモから,この橋の構想過程がよく分かります.a+u[1]に載っている彼の思考メモをそのまま信じれば,平面システムそして立面システム(アーチ)という順番にこの橋を構想したようです.順を追って記述してみます. 1. 平面システム “橋はまっすぐ架けるべきか“ A地点からB地点を障害物を乗り越えながら最短距離で(つまり多くの場合直線で)つなぐのが一般的に橋に求められる機能ですが,橋の設計に参加する多くの建築家がそうであるように,バルモンドはまずこの大前提の再解釈から始めています. 例えば深い谷にかかる橋では,歩行者はその高さに恐怖を感じるので,直線という最短距離で対岸に渡りたがる.しかし,この架設場所のように,桁下高さが小さく,穏やかな流れの川の上を渡る時は,恐怖感は持たず,心に余裕がある.それでも橋をまっすぐに架けるべきか? 川の上にまっすぐに架けられた橋は「その軌跡に一切の変化を受けない投射物のように,加速をつけながら水の上を飛び越えていく軌道」であり,「直線が端的に内包している方向性のあるエネルギー,力の視覚化」によってそのイメージが形成されます. 「純粋な矢の飛行は自己中心的なものであり、そこに『そのもの - 自然』を保つことに全面的にとらわれている.(The pure arrows...
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