スパン35メートルからのデザイン・ブログ

軽量・構造・デザイン


ジェノヴァの橋  外観 [1]

先日(2018年8月14日)イタリアで起きた,ショッキングな橋の事故について.今回の事故は,維持管理の問題の側面が大きいかと思います.しかし,そちらの面からは,専門家の間で大いに議論されているように思いますので,ここでは設計の面から考えてみます.

崩落の直接の原因は何か?


これは,多くの報道でなされているように,コンクリートの劣化が基因と言うことで間違いないでしょう.ただし,どこの部材が壊れたのかはまだはっきりとしていないようです.私は,ステイケーブル(タワーから伸びて床版を吊っている引張材)の破断だと思っていたのですが,桁ではないかと考えている人もいるようです.(下図)

https://www.graphicnews.com/en/pages/38239/DISASTER-Morandi-Bridge-collapse
疲労でステイケーブルのコンクリートにひび割れが発生,そこから徐々に中のPC鋼材が腐食してついに破断.バランスを失って,主塔と橋脚が引きづられて崩壊,というのが私が最初に思った崩壊のメカニズムでした.

ただ,補修され続けられていたとはいえ,50年もの間,無事に供用されていたものが,なぜこのタイミングで崩落したのか?


事故後のジェノヴァの橋  https://en.wikipedia.org/wiki/Ponte_Morandi

PC鋼材は設計図(下図)を見れば40本くらいは入ってそうだが,これが前兆無しで一気に破断するものだろうか?

コンクリートの中にあるので目視できないにしろ,ひずみゲージや日々の検査で,多少なりとも予期できなかったものだろうか?
ジェノヴァの橋 ステイケーブルとPC鋼材 [1]

個人的には,事故直前にあったという落雷が気になっています.当日は強い雨が降っていました.無論,落雷が主原因とは通常考えられないのですが,損傷がかなり進んでいた部材の破断の"きっかけ"くらいにはなり得るかも知れません.2005年にギリシャで長スパンの斜張橋のケーブルが落雷で破断したことが報告されています.

追記> 私の同僚の推測は,強い雨風でステイが振動.ジョイント部に過度のせん断力が発生して破断したというものでした.

ジェノヴァの橋 主塔の側面図と断面図 [1]
竣工から早20年でメンテナンスを必要としてしまった本橋.見た目からして痛々しい感じで補修されていて,事故を危惧してい人も多かったようです.

一つの謎 ー なぜ全部が崩壊したのか


いぜれにせよ,崩落の起因はしっかりと調査されて,そのうち報告されるでしょう.ただ,今回の事故では,原因そのものは割と明らかで,それよりも,主塔と橋脚を含んだ1ユニットが丸ごと,それも脆性的に破壊したことのほうが重要かと思います.

言わずもがな,突然崩壊してしまうというのは,設計上,最も避けなければいけません.

どの部材が破断したにしろ,連成的に主塔と橋脚も崩壊したのが個人的には驚きでした.

たとえステイケーブルが切れたとしても,自重を支えることはできなかったのか?

支間中央の桁の重さや活荷重があるといっても,コンクリート橋は自重が大きいので,相対的にそれらの割合は小さくなる.

ジェノヴァの橋 施工中の様子 [1]
施工中の写真(上図)を見ても,ステイケーブルにプレストレスが入ってない.つまり完全に片持ちの状態で成立しているのに,なぜこの事故の際には自立できなかったのか?

このA型主塔と橋脚を組み合わせたスタイルの斜張橋は,普通の斜張橋より冗長性が高そうなのに,なぜこんな壊れ方をしたのか?

モランディ・スタイルの構造システム


高名な橋梁エンジニアであったリッカルド・モランディ(Riccardo Morandi,1902-1989).
彼の代名詞でもあった特徴的なこの橋の構造は,以下の2つのシステムが重なってできています.

1つ目が,主塔とそこから張られた一対のステイケーブル(図のシステムA).2つ目が,主塔とは完全に独立した橋脚と,梁が一体化したラーメン構造.両側の片持ち梁がステイで支持されている(図のシステムB).
 
ジェノヴァの橋の構造システム ([3]を参考に著者作成)


これを1ユニットとして,3ユニットが並んでいました.そして,ユニット間に桁が配置されています.(図の赤い線)構造的な特徴としては,主塔をA型(三角形)とすることにより,非対称の荷重に対応させています.橋脚を上に向かうに従い,外に広げているのは,支間長を取るためでしょう.

向かい合った片持ち梁の先端の間に置かれた桁により,外的に静定構造となっています.これにより地震や,不同沈下に対応させています.[4]
ジェノヴァの橋の構造システム([3]を参考に著者作成)


モランディが挑戦していたこと


報道によると,氏が設計した同じ形式の橋についても心配の声が上がっているようです.この複雑な構造を構想した氏に,今回の大事故の責任があるのでしょうか?

1960年代頃はコンクリートに対しての絶大な信頼がありました.人類がコンクリート構造を建設に使い始めて半世紀が経った頃です.

そんな時代に,若くして独立したモランディは,コンクリート構造の合理性を探求し続けた稀有のエンジニアでした.その経験と知識に裏付けされた,技術力と造形力には絶対の自信があったのだと思います.

彼の時代の技術では,この橋の設計に何の問題もなかった.車の繰り返し荷重による疲労や化学的なコンクリートの劣化については,まだ明らかになっていない時代です.

忘れてはいけないのは,モランディがコンクリートによる斜張橋のパイオニアの一人であったという点.このモランディ・スタイルの最初の橋は,ベネズエラ架かるマラカイボ湖の橋(1962)ですが,これが世界で最初の現代的なPCの斜張橋です.さらには最初の多径間斜張橋です.

マラカイボ湖の橋,ベネズエラ(1962)
https://en.wikipedia.org/wiki/General_Rafael_Urdaneta_Bridge より
その後,氏は今回事故があったジェノヴァの橋(1967),リビアの橋(1971)と少しずつ改良を重ねています.

最初のマラカイボ湖では,橋脚を剛性の高いX型にしています.(下図)ここから,両側に張り出して床版を施工していくのですが,橋脚が外に開かないようにするために,上部にプレストレスを一時的に導入.張り出しに対しては,橋面上に外ケーブルを敷きプレストレスを導入しています.
 
マラカイボ湖 X型橋脚の側面図 [2]
レオンハルトの「ブリュッケン」に,マラカイボ湖の橋では,施工費が著しくコストアップしたという記述があります.水上での作業というのもあるでしょうが,当然これだけ複雑なことをすればコストはかかるでしょう.

ちなみに,マラカイボ湖の橋では当初,スパン400mを提案(実現したのは240m)していたそう.人類未踏にも関わらず,それを提案していたあたり,やはり相当自信があったのだろうと思います.

次のジェノヴァの橋(1967)では,痛い目にあったコストの問題に対して,橋脚をより簡素化して,X型から逆ハの字型に改良したと推測できます.全体的に見ても,ジェノヴァの橋は,マラカイボ湖の橋よりだいぶすっきりしています.

次のリビアのWadi Kuf 橋(1971)では,仮のステイケーブルで両側に吊ってバランスさせながら張り出しています.現代的技術に,試行錯誤でたどり着いたと考えられます.

崩壊のメカニズム


上述した橋面上の外ケーブルは,ジェノヴァの橋でも使っています.つまり,上で書いた私の推測は間違っていて,施工中でもプレストレスの力を使わなければ自立はできていなかったわけです.ステイケーブルにプレストレスが入って,はじめて構造全体が安定する.

ジェノヴァの橋 施工中の様子 外ケーブルが橋面上に見える [1]
つまり完成した後の状態で,ステイケーブルが切れたら,桁は自重でさえも危うい,しかも支間中央の桁の分もあるから尚更.冗長性が低かった理由の一つでしょう.

ジェノヴァの橋 施工中の様子 橋面上の外ケーブル [1]
この橋は,上述した通り全体としてみれば静定構造で,主塔と橋脚からなる1ユニットの大きな構造体の間に桁が載っています.

 1ユニットが崩壊したのに,それに引きずられる形で橋全体が崩壊しなかったのは,この特殊な構造システムが理由でしょう.

橋の崩壊は,設計者モランディの責任か?


手元にあったいくつかの本を見ても,この構造形式の設計に対して好意的に書いているものは少ない.歴史的な背景を踏まえると批判するのは非常にためらわれますが,個人的にも,やはりこの構造形式にはメンテナンスのデメリットがあり過ぎたと思います.

この橋は竣工後,二十年でメンテナンスが必要になり始めたそうです.どこかの記事でエンジニアがインタビューに答えていましたが,橋にとって二十年はないに等しい.

ただし,モランディは1979年に,「この橋の鉄筋の腐食について,数年以内に対応が必要になるだろう」というコメントを残しています.「設計については何も問題はなかった,ただ,海風と近隣の工場からの排煙で,他では見られないほどに材料の劣化が進んでいる」と危惧していたようです.

設計について考えてみると,やはりステイケーブルがわずか一対であった点が悔やまれます.マルチケーブルであば,もしかしたら今回のような崩壊まではいかなかったかも知れません.一対のステイケーブルでは,支持点間隔が長くなり必然的に大断面の箱桁も必要となります.

しかし忘れてはいけないのは,時代背景.

近代的な斜張橋が生まれたのは1956年です.(スウェーデンのStrömsund橋)斜張橋が発展していく過程で,ステイケーブルの数は徐々に増えていきます.より連続的に桁を支持し,より桁をスレンダーで軽量にしていきました.

モランディの橋への批判としてよく,このスタイルの橋は世界にわずか3,4橋しかない!といったものがあります.しかし,必ずしも,真似されない橋が良くない橋というわけではありません.

ところで,モランディには,技術者としての一面だけでなく,美を求めたアーチスト的な面があったのは明らかです.果たして,ジェノヴァの橋は造形的な狙いが強かったものなのか.

ジェノヴァの橋について,モランディは以下のコメントを残しています.

「この重要な橋の建設は,プレストレストコンクリート技術の進歩がなければ実現不可能であった.このプロジェクトは,橋の規模と架設場所によって困難を極めた.何より周辺の重要なインフラの建設と同時に完成させなければならなかったのである.普通であればできない場所に橋を架ける,そして橋を支える面積を最小化することことによって,これらの諸問題を適切に解決できたのである.この構造は,荷重に対して最大限の効率化を図った設計で,これにより相当量の材料が節約されたのである.」[1](抄訳)

この短文から読み取れることは,造形うんぬんではない,当時の最先端の技術を使って,最も質の高い橋を作りたいというエンジニアの真っ当なスピリットです.

今回の事故は,構造的に全崩壊の可能性があったというのが,重要だったのであろうと思います.エンジニアは壊れ方については相当議論しますが,そういう点までメディアには伝えられないというのが,問題なのかも知れません.専門家同士のやり取りとは別の話として,もっと話をわかりやすくして,メディアに乗せる努力が必要なのでしょう.


設計においては,未知への挑戦を恐れるべきではない.しかし構造工学の理論と技術がこれだけ進歩した現代においても、ひょっとしたらまだ未知の領域があるのかも知れない.そういった謙虚な心構えが重要であるということを改めて痛感させられる事件でした.

続編> ジェノヴァの橋の崩壊は設計者モランディの責任か-続報-現地に行ってみた

参考

[1]
MORANDI, vinduetasobre el Poleevewa en Qenova Itatia (PDF)
[2]
Podolny, CONCRETE CABLE-STAYED BRIDGES (PDF)
[3]
Podolny and Scalzi: Construction and design of cable-stayed bridges, Wiley, 1976, pp.54-59
[4]
Podolny, CABLE-STAYED BRIDGES OF PRESTRESSED CONCRETE, PCI Journal/January-February 1973, p.70
[5]
吊形式橋梁:計画と設計 / Niels J. Gimsing著; 伊藤學監訳; 藤野陽三ほか訳, 建設図書, 1990 p.25
[6]
GIMSING, History of cable-stayed bridges, Proceedings IABSE Conference 1999
[7]
https://structurae.net/persons/riccardo-morandi
[8]
https://en.wikipedia.org/wiki/Riccardo_Morandi

2018年9月7日 一部訂正
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ひょんなことから,出版社の方に頼まれて書評を書きました.今年(2018年)の春発売された,日本大学教授の鈴木圭さんがお書きになった「橋梁デザインの実際」(コロナ社)についてです.



書いていたときに盛り上がっていたサッカーのロシアワールドカップに引きづられる形で,(若干大衆的過ぎかなと思いつつ)ここ20年で強くなったサッカーの日本代表を引き合いに出しながら,日本の橋梁デザインの行先を偉そうに書いてみました.ご笑覧頂ければ幸いです.

レビュー「橋梁デザインの実際 - その歴史から現代のデザインコンペまで -」

本書のレビューの執筆依頼を頂いたのは2018年5月,ロシアでサッカーのワールドカップが始まろうかという時だった.南ドイツに住む私は,大会前最後の日本代表の試合が近所のインスブルックで行われると聞いて,応援しに行くことにした.

スタジアムまでの車を走らせながら,ふと,どうすればもっと日本の橋梁デザインが良くなるかを考えていた.

とある世界的なスターエンジニアという「個」が,長崎に美しい歩道橋を架けても,それだけで日本の橋梁デザイン全体が劇的に良くなるわけではない.

景観工学の発展とともに,「全体」の底上げは確かにされてきた.しかし,それで世界から注目を受ける美しい橋が日本に次々と生まれてきたかと言えば,そうとは言えない.

試合開始のホイッスルの音で,ハッと我に返り,目前のフィールドに目をやる.

二十年前から比べれば日本代表は本当に強くなった.聞くところによると,海外リーグでプレーする選手が大半を占めているそうである.高い情熱と志を持って,リスクを恐れず海外で挑戦する.これは「個」についての話.一方,大会直前での代表監督解任のニュースが話題になったが,つまるところこの騒動の争点は,継続的な哲学の欠如,ひいては将来的なビジョンの欠如うんぬんであったように思う.これは「全体」についての話.個と全体が絡み合いながら,日本代表はここまで強くなってきたのであろう.

ところで,「個」と「全体」の関係性と言う意味では,橋梁デザインでも同じことが言えるのではないか,と思い至ったのは,試合終了間際,香川選手がダメ押しのシュートを決めた時だった...(つづきはコロナ社HPにて)



本は,もちろん良書でお薦めです.

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橋梁デザインの実際- その歴史から現代のデザインコンペまで -
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去る2016年の4月に,ニューヨーク近代美術館 (MOMA)で日本の構造家をテーマにした講演会「Structured Lineages: Learning fromJapanese Structural Design」が行われました.もう大分時間が経ってしまいましたが,日本語の情報としてはネットではほとんどないようなので,メモ的に残しておきます.

「Lineage」はあまり聞き慣れない言葉ですが,「血統,系統,家柄」などを意味するそう.日本の構造家の系譜を軸として,日本の構造デザインの独自性と世界に与えた影響を読み解こうとする野心的な試みでした.


MOMAのHP より

これは同美術館で開催されていた建築展「A Japanese Constellation: Toyo Ito, SANAA, and Beyond」の催し物の一環として行われました.仕掛け人はアメリカを代表するエンジニアの一人であるギイ・ノーデンソン(Guy Nordenson,カナ表記はあやふやです) 氏.

プレゼンターとして,現在の構造デザインの世界を牽引する6名の構造エンジニア+2名の大学の先生が招待されました.


  • Marc Mimram 氏(パリ)による “Yoshikatsu Tsuboi (坪井善勝)”
  • Mike Schlaich氏(ベルリン)による „Mamoru Kawaguchi (川口衞)“
  • Laurent Ney氏(ブリュッセル)による “Masao Saitoh (斎藤公男)“
  • Jane Wernick氏(ロンドン)による “Gengo Matsui (松井源吾)”
  • Guy Nordenson 氏(ニューヨーク)による “Toshihiko Kimura (木村俊彦)”
  • William Baker氏(シカゴ) による ”Mutsuro Sasaki (佐々木睦朗)“
  • ワシントン大学のSeng Kuan氏による “Japanese Structural Design from Sano Toshikata to Sasaki Mutsuro (日本の構造デザイン 佐野利器から佐々木睦朗へ)"
  • MITの John Ochsendorf教授による “Architecture and Engineering Education: Japan, U.S., E.U.(日本,アメリカ,ヨーロッパの建築教育)"
日本人以外のスターエンジニアが,日本のスターエンジニアについて話すという実に不思議な催し物です.


Picture from the blog of Form-finding Lab https://formfindinglab.wordpress.com/2016/05/26/learning-from-japanese-structural-design-reflections-on-the-symposium/
各氏は優れた構造エンジニアですが,優れた歴史研究家というわけではありません.なのでこの講演会が,歴史的を詳細にそして客観的に描写したものであるとは言えないでしょう.それでは,この講演はどこに価値があったのか?

日本の構造デザインの独自性を内側から客観的に語ることはなかなか容易ではありません.それでは,外側から語れるとしたら誰か?

歴史家や研究者が第一に挙げられるでしょう.しかし,過去を振り返ることができても,今現在の最先端を語るのは難しい.

この講演会が目的としたのは,単に日本の構造デザインの歴史を振り返るのではなくて,それが今現在の世界の構造デザインにどう結びついているのかを明らかにすることです.

そう考えると,現代において国際的な場で第一線で活躍している彼ら以上に,それを的確にできる人はいなかったのではないでしょうか.そして当然,彼らの名前によって注目度をあげるという目的はあったと思います.

この2点において,この講演会は価値があったと言えるでしょう.

--

私はこの催し物に直接関わりはなかったのですが,恩師のシュライヒから頼まれて,一緒にプレゼン準備をしました.

マイク・シュライヒが指名されたのは川口衞氏.ただ,そのまま川口氏の経歴や作品を紹介するだけでは面白くないと,少しテーマを掘り下げました.何かと比較される,自身の父親であるヨルク・シュライヒと対比させることによって,川口氏の特異性と世界に及ぼした功績を浮かび上がらせようとしました.

以前書きましたとおり,私は川口衞氏とヨルク・シュライヒ氏には格別の尊敬の念を持っておりますので,このプレゼンをお手伝いすることは,自分にとっても実に光栄なことでした.ドイツの北に位置するベルリンから,現在私の住む南端のケンプテンまで遠路はるばるやってきたシュライヒと,ビール片手にああだこうだと実に楽しい議論を重ねました.

さて,個人的な話はさておき,当日の講演会について.

私は残念ながらニューヨークまでは行けませんでしたが後日,文字起こしされた講演録を読ませて頂いて当日の様子を少しばかり知ることが出来ました.

私が興味を引いたのは,日本の構造デザインの独自性としてとりあげられた「ハイブリッド」なデザインアプローチ.

川口衞氏や斎藤公男氏が開発・設計されてきたハイブリッド構造のルーツを辿ると,代々木体育館に行き着くことは自明です.よく言われているように,ミュンヘンオリッピック競技場の「ピュアな」テンション構造との対比すると分かりやすい.

しかし,この日本特有のハイブリッドなアプローチは,単に代々木体育館を出発点としているだけではなく,文化のようなもっと深いとこに根ざしているような気がします.このテーマについては,私自身もずっと興味を持って追いかけていますが,なかなか答えは見つかりません.


Picture from the blog of Form-finding Lab https://formfindinglab.wordpress.com/2016/05/26/learning-from-japanese-structural-design-reflections-on-the-symposium/

もう一つ,個人的に面白かったのが,日本の建築教育のユニークな点についての議論.「日本の大学の建築教育では,意匠志望の学生も構造志望の学生も一緒に学び始める所がユニークである(それゆえ他国に比べて両者の互いへの理解が深い)」という,よく語られる説があります.

この講演で行われた討論でも,司会者がこの点でまとめようとしていましたが,「3年一緒に学んだから,合理的(な構造の建築を設計するよう)になるわけはないでしょう」とミムラムに一蹴されます.

これには,私も思わず膝を打ちました.というのは,この説の信憑性を前から疑っていたからです.否定しているわけではないのですが,国外でその違いを体感として得られたことが今のところない,というのがその理由です.

それにしても,このミムラム.討論で実に切れ味の鋭いコメントをたくさん残しています.前述のコメントも「そもそもこの展覧会の(Toyo Itoや SANAAが設計した)建築をご覧なさい.そんなに(構造的に)合理的ではないでしょう.」と続きます.

別のところでは, 「伊東豊雄氏の弟子らが,彼らの師のデザインを好きなようにコピーしているように見えるのが興味深い.フランスでこんなことをやったら殺される.もちろんこのコピーとは,中国人のコピーとは違う質のもの.言ってみれば家族間のやりとりのように見える.」(意訳)と言い切ります.

エンジニアは職能上,計算能力に比べて哲学的な議論をする能力には乏しい,と私は勝手に思っているのですが,ミムラムは例外の一人のよう.

「エンジニアはたまにボディビルダーのように,構造という筋肉を見せつけようとし過ぎる.」「ときに私たちは合理性の背後にある(不合理な意匠の)アイデアに寄り添う必要がある」と自身の設計スタンスを明確に語ります.

それに対してマイク・シュライヒが「私はマルクと違い,構造の純粋性を完全に信じている.アーキテクトがそこに不完全性を持ち込んでくるのだ」とコメントしたのが,個人的にはこの講演録のハイライトでした.この手の討論は,なかなかお目にかかれません.

--

後日,シュライヒより講演の成功の報告とともに,展覧会のカタログ本が送られてきました.残念ながら構造デザインについての記述はほとんどありませんが,伊東豊雄氏とそれに連なる系譜の方々らの建築が収録されています.

A Japanese Constellation: Toyo Ito, Kazuyo Sejima, SANAA, Ryue Nishizawa, Sou Fujimoto, Akihisa Hirata, Junya Ishigami



ちなみに,この講演録なんですがその後,個人的にGuy Nordenson氏と連絡を取っていて,MOMAからの出版で話は進んでいるそうです.氏は2008年に,同じくMOMAで行われたフェリックス・キャンデラの展覧会に際して行われた講演会の時も書籍を出版しています.

7 Structual Engineers: The Felix Candela Lectures

今回のも同じテイストの本になるよう.ただ最初は,日本語訳バージョンとの日米同時発売とお聞きしていたのですが,その後の連絡だと色々と難航しているよう.個人的には,これだけ価値のあるもなので,日本語での出版は絶対に実現させるべきと思っていて,勝手に推移を見守っています.

(2/2につづく)

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ドイツ在住の橋梁・構造エンジニア / email: motoi (at) masubuchi.de

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