驚くべきことに,晩夏のヴァーリ湖(Lago di Vagli)には全く水がなかったのである.
水面に浮かぶ凛とした姿が見れることを期待していたのに.
少々がっかりはしたけれど,しかし,それでもこの橋の佇まいには心打たれるものがあった.
この橋にはほんの少しだけ思い入れがあった.出会ったのは,「Footbridges」を翻訳していた時である.美しい歩道橋が陳列されたショーケースの中で,この橋は独特の雰囲気を放っていた.
「Footbridges」 |
こう感じていたのは別に私だけではなかった.八馬さんも同じように感じられていたようだった(はちまドボク 岬の上の小さな村)し,この本の紹介でこのページがよく使われているのもその証拠だ.
そう,少しおごった言い方になってしまうけれども,この橋は橋が分かっている人ほど惹きつけられる,そんな魅力を持っているのである.
「この橋は必ずこの目で見なくてはならない」そう思いながらも,イタリアの山奥の村まで行ける機会はそうそうなかった.八年を経てようやく見ることができたのである.
リカルド・モランディ(Riccardo Morandi)が設計したこの歩道橋は,トスカーナの村,ヴァーリ・ソット(Vagli Sotto)の貯水湖に架かるもので,ダム建設に際して1953年に造られた.
プレストレスコンクリート製の3ヒンジアーチで,アーチ部のスパンは70mである.
40mという水面からの高さ,さらに幅員とのプロポーションを考えると,支保工を立てるのはどうしても不経済であった.さらには,同時進行していたダム建設によって橋の建設中にどんどん水位が上がる.
施工中の写真 Two stages in the rotation of a half-arch, taken from [2] |
通常この施工法では,同時に両岸の半アーチを倒していくケースがほとんどであるが,ここでは真ん中に仮支柱のトレッスルを建て,片方ずつ順番に行っている.こうすれば,アーチを回転させる機械を一つだけ用意すればよい.
特筆すべきは,回転中の応力のコントロールである.状態によってプレストレスを調整し,アーチ内に発生する応力を制限した.
回転中のモーメント図 Diagrams of the bending moments, taken from [2] |
橋は何らかの障害物を乗り越えるために作られる.この橋もそうであったように,建設中でもその障害物によって,例えば足場が組めないというケースは多い.
完成していない,構造として不完全な状態でも大きなスパンをまたがなくてはいけない,というのは橋梁の特徴である.そして,それこそが設計者を悩ます難しい点でもある.結果として,完成後の大きな活荷重がかかった状態ではなく,施工中の状態が断面の大きさを決めてしまう場合も多々ある.
モランディの設計が秀逸なのは,この不安定な状態を完全にコントロールして,経済性を確保しながら究極までにスレンダーな構造物を実現させた点にある.しかも非常にシンプルな機構によって,である.
橋の批評が難しいのは,それが工学的な構造物であるにも関わらず,純粋に技術だけでは評価できない点であろう.技術力の高さ=橋としての質の高さ,ではない.
ピアノは鍵盤を押せば音が出る.機械的な技術だけで,たとえ楽譜通りに正確に弾いても,それらはただの音の羅列に過ぎない.そこに抑揚をつけ,強弱を加えることによって,感情やイマジネーションが込められる.立体的な,表情豊かな音楽性を帯びるのである.
技術はアウトプットへの手段であって,それ自体が評価の対象ではない.結局のところ,技術は必要条件なのであって,それが適切な場所に適切に適用された時に,橋も特別な性質を帯びるのである.
「桁は支承部に近づくに連れて次第に薄くなり,支点の上にまるでレコードプレーヤーの針のように置かれている.」(上述のFootbridgeより)
モランディのこの橋は,高い技術によって,はじめてここまでシンプルでスレンダーな外観を獲得したのである.この橋が紡ぎ出す表情豊かな音色はここにある.
世界の多くの橋梁エンジニアは,スレンダーさが橋梁美にとって正義であると盲目的に信じている.
この橋は,そんな信仰の実存である.
エンジニアリングの追求が美に到達したのである.
実際に訪れたい方への余計なガイド
山深くに位置するため,ここまでの運転は結構大変なのでご注意下さい.
このダム湖は水位が季節ごとにガラッと変化します.「Footbridges」(p.7)によれば6月は水位が高いよう.私が訪れた9月末では写真の通り,水位はほぼ0でした.(が,検査のためにたまたまダム湖の水を全て抜いた可能性もあり.要調査)
上述の通り,景観的な魅力としては水があるときの方が良いかと思いますが,水がなければ橋脚の足元までアクセスでき,ディテールまでじっくり観察できるというメリットがあります.
橋の近くの丘の上には13世紀に作られた建物や街路そのままの非常に魅力的な集落があります.世界遺産ではないのかと思ってしまうレベル.少し集落を散策すればフレンドリーな猫達(おそらくすべて飼い猫)がわんさか付いてきて一緒に遊ばうと誘ってきます.
このダム湖は一周グルッと散策できます.橋は自由にアクセスできますが,この橋のたもとから一部は有料の散歩道.出入り口は無人のゲートでお金を入れて通ります.確か一人2ユーロくらい.この有料の道上に吊橋が架かっていて,なんと床版の一部がガラスになっていて湖を覗けます.
観光の目玉として,上方の山からのハーネスをつけて空中滑降する有料のアトラクションがあります.この橋の上空も跨ぎます.勇気がある方はぜひどうぞ.
>Youtubeに空中滑降しながら撮影された動画がありました
Volo dell'Angelo - Lago di Vagli Sotto 2017
*)この施工法は当時すでにエンジニアのKrallによって,イタリアのBeneventoのCaloreをまたぐ橋(1946年)で採用されている.[3],[5] この事実一つ見ても,当時のイタリアの橋梁設計は技術的に世界の最先端にいて,黄金期を迎えていたことが分かる.
現代的なロアリング工法(独 Bogenklappverfahren)で最初に建設されたのは,ドイツのアルゴイで1986年に実現されたArgentobel橋とのこと.現在まだ確認中.
[基本データ]
名称:
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Lussia Bridge,Ponte Morandi, Footbridge over the Lussia at Vagli
di Sotto, Vagli di Sotto footbridge, ヴァーリ・ソットの歩道橋
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完成年:
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1953
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機能,種類:
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歩道橋
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設計:
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Riccardo Morandi
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材料:
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コンクリート
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構造形式:
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3ヒンジアーチ
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規模:
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橋長 122m
最大支間長 70m
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位置:
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Vagli Sotto, Lucca,
Tuscany, Italy
44° 6' 40.12"
N 10° 17' 32.97" E
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アクセス:
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自動車で,公共交通機関はおそらくバスのみ
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[参考]
[1]
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「Footbridges - 構造・デザイン・歴史」 鹿島出版会、2011
ウルズラ・バウズ、マイク・シュライヒ (著)
久保田善明(監訳)、増渕基+林倫子+八木弘毅+村上理昭(翻訳) pp.7, 60-61
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[2]
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Giorgio and Benito Boni
Boaga, The Concrete Architecture of Riccardo Morandi, NY Praeger (1966) pp.
30-36
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[3]
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Imbesi, Guiseppe /
Morandi, Maurizio / Moschini, Francesco (1991): Riccardo Morandi. Innovazione,
Tecnologia, Progetto. Gangemi Editore, Rome (Italy), pp. 22, 170-171.
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[4]
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[5]
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Carolina Di Pietro,
History of the Italian contractors of large reinforced concrete structures in
the twentieth century, Proceedings of the 6th International Congress on
Construction History (2018)
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author visited: 2018-09