12/01/2017

Footbridge Conference 2017 橋のデザイン哲学を語る異色の国際学会に参加してみた

https://www.footbridge2017.com より
ドイツにて968日の3日間,第6回国際歩道橋学会(6. International Footbridge Conference 2017)が開催されました.マイク・シュライヒ(Mike Schlaich)(委員長)やローラン・ネイ(Laurent Ney)氏らが組織委員を努め,参加者はおよそ400人.査読を経て採択された約170編の論文と,約80の歩道橋のデザイン提案(後述)が発表されました.

  • 雑誌「橋梁と基礎」2017年12月号にこの学会の報告を載せて頂きましたが,ここでは,スペースの問題で書ききれなかった情報を加筆しています.
  • 携帯で写真を撮っていたため,画質がいつも以上によくありませんがご容赦下さい.雰囲気をお楽しみ頂ければ幸いです.

会場となったのはベルリン工科大学のWeddingキャンパス.ここの建物は1910年にドイツの大手電機メーカーAEGの工場として,建築家ペーター・ベーレンスが設計したものです.私事ですが,ドクター取得のため長らくここに通っていたので,今回は久しぶりの古巣訪問となりました.


ベルリン工科大学のWeddingキャンパス外観
本学会は,2002年からパリ,ヴェネツィア,ポルト,ヴロツワフ(ポーランド),ロンドンと3年毎に開催されています.

1990年代後半,ロンドンのミレニアム・ブリッジなど国際的な注目を集めた歩道橋で,歩行者に起因する振動が起きました.そのため,第一回のパリ学会では,振動に関する研究が大きな関心を呼び,以降もこの学会の大きなテーマとして受け継がれています.今回は,そこに新しいテーマが盛り込まれました.

Tell a Story


実際に建設した橋を学会などで報告するときは大抵の場合,使用した材料や設計・施工手順などを話します.本学会では,そうした構造物の技術的な情報よりも,それらの背後にある設計のコンセプトやアイデアに焦点を当てようとしました.

今回のテーマ“Tell a Story(あなたのお話を聞かせて下さい)”とは,橋の作り手としての設計哲学を問うたものと言えるでしょう.


ベルリン工科大学のWeddingキャンパス ペーター・ベーレンスホール内観
歩道橋は,環境を形成する重要な構成要素の一つであり文化を形成します.そのため,近年では橋梁エンジニアのみならず,建築家,芸術家,景観デザイナー,照明デザイナーなどさまざまな分野の専門家の注目を集めています.

一方で,橋梁エンジニアは、自分や他人が設計した橋梁について理性的に批判あるいは擁護するといった議論に不慣れであり,意識して設計思想について語ることはほとんどありません.建設的な議論によりお互いに刺激し合う,橋梁設計に対する創造的な議論の場を構築するというのが,今学会の目指したテーマでした.


ベルリンの歩道橋のデザイン提案


そのようなテーマを色濃く反映したイベントの一つとして,ベルリンを舞台とした歩道橋の設計案の募集が行われました.これはマイク・シュライヒの発案で,今回の学会では論文よりも多くの設計案を集めたいという思いがあったそうです.

ベルリンはドイツの首都ではありますが,国の再統一に関連し多くの負債を抱えていることもあって,街には歩道橋が不足しています.市の橋梁部(Berlin Bridge Department)の協力のもと6つの,実際に歩道橋を必要とし,かつベルリンらしい特色ある架設場所が選定されました.

会期中は,一会場が用意され,提案者によるプレゼンテーションが行われました.私が聴講したのは“Brommy“.ベルリンの壁「イーストサイドギャラリー」近くのシュプレー川に架かっていたBrommy Bridgeは三連のコンクリートアーチ橋でした.戦争で破壊され,今では片側の橋脚だけが取り残されているという状態.ここにどのような新しい歩道橋を架けるか?


2日目の夜に開催されたシュプレー川のクルーズではオーバーバウム橋(カラトラバ改修)の下も通りました

建築的な意味では,ベルリンの壁という東西分断の象徴的な場所をどう考えるかが重要です.歴史の複雑性を,一つの建築や橋に込めるのは非常に難しいことですが.特にベルリンの歴史は重層的なので尚更です.

余談になりますが,この重層的な歴史をデザインする難しさが浮かび上がった例を一つあげると,ベルリン・ミッテの「旧共和国宮殿」問題があります.一等地に建っていた旧東ドイツのシンボルとも言える旧共和国宮殿を取り壊すことになった時,さて,それでは東西再統一を果たしたベルリンで,そこに何を再建するべきか?15世紀以来の王宮の追憶か,20世紀の東ドイツの記憶か,あるいは全く新しい風景という未来か.大きな議論を呼びました.

またこの架設場所は, Berghain(ベルクハイン)などベルリンのテクノ・シーンあるいはナイトライフの代表的な場所なので,それをどうデザインに組み込むか,隣接したオーバーバウム橋(カラトラバ改修,上写真)にどう呼応させるか,なども重要です.

そういった建築的な意味以外でも、非対称に残された橋脚に対して構造としてどう対処するかが問われるので,統合的な橋梁デザインの架設条件としてはなかなかハイレベルであるように感じました.

特徴的だった提案をいくつかご紹介.

スイスのETHの学生チーム.この手のコンペでは一つは必ず出てくるという意味で,もはや定番となった平面S字の片面吊りアーチ.私の知る限りではシュライヒ事務所が10数年前にイギリスのコンペで提案したのが最初ですが,まだ世界のどこでも実現してないことや,最適化の分かりやすい例になっていることなどが,人気の理由でしょう.このチームは,残されている橋脚については一切こだわらず.



スイスのETHの学生チーム
個人的に最も感心したのはスイスのBasler & Hofmannチームのフィンクトラス案.以前この投稿でも取り上げましたが,1757年に竣工されたシャフハウゼン(Schaffhausen)の屋根付き木橋の逸話を引用しています.設計者のグルーベンマン(Grubenmann)は,橋の架け替えに際し,もともとあった橋脚を利用することなく,単スパンの120mで橋を架けられると主張しましたが,発注者には信じてもらえず,結局は橋脚を使った2スパンの橋を架けました.



Basler & Hofmannチーム
この橋のコンセプトは,このグルーベンマンの橋の構造システムを上下反転しています.そして一見すると,既存の橋脚の上に斜張橋の主塔を立てているように見えますが,フィンクトラスなので,実際は橋脚からは完全に浮いています.

残された橋脚にどう対処するかという問に,グルーベンマンの話を知っている橋好きなら思わずニヤリとしてしまう,かつ構造デザイン的に説得力のある方法でアイロニカルに解決策を提案しているのがお見事でした.

最も笑ってしまったのは,アーキテクトBEaMチームによるHPシェル橋案.上述のベルリンのアンダーグラウンドカルチャーからの引用で,橋の下を仮設のクラブにしてしまおうというもの.プレゼンもユニークで,各チーム5分しか発表時間を与えられていないのに,最初の一分,ただDaft Punkの名曲One More Timeを流すという大胆さ.


BEaMチームによるHPシェル案(後述の書籍より)
というように,通常の橋のコンペではなかなか見られない,良くも悪くも玉石混交のデザイン提案でした.あまりに度が過ぎた提案に目くじらを立てるエンジニアもいらっしゃるでしょうが,多様性というのはこういうことでしょう.私にとってはとても楽しいイベントでした.主催者の意図通り,橋梁デザインに対する建設的な議論を多く生み出していたと思います.

これらはあくまで提案に過ぎず,実際に建つわけではありません.しかし,このイベントにはベルリン市も絡んでいるので,良い提案があればひょっとしたら採用されるのかも知れない,という微妙な期待感も含んでいるのがなんとも言えないところ.純粋に橋の提案を楽しんでいるチームがいる一方で,野心的に仕事を取ろうとしていると思われるチームもチラホラ.そのあたりは,今後どうなるのか分かりませんが,若干罪作りなイベントでもあるように感じました.

セッションのまとめは、国際的に名高い設計者によるダイアローグ.このセッションは,マーティン・ナイト氏とユルク・コンツェット氏でした.


ベルリンの歩道橋案の会場の様子 壇上左がユルク・コンツェット氏,右がマーティン・ナイト氏
このイベントはコンペではないので,そこまで応募があるのか実は少々疑っていたのですが,蓋を開けてみれば約80個の提案が集まったとのこと.

全ての提案は一冊な本にまとまっていて,ネットでも購入できます.

参照> The World’s Footbridges for Berlin(英語) ハードカバー 出版社: Jovis (2018)


Footbridge Awardsの発表


3年毎に行われている歩道橋賞(Footbridge Awards)の発表も,本学会の伝統的なイベントの一つです.雑誌ブリッジデザイン&エンジニアリング(Bridge design & engineering magazine)によって主催され,過去3年間に竣工した歩道橋が対照です.最大スパン長によってカテゴリー分けされているのが特徴で,30m以下,30mから75m75m以上の各部門ごとに賞が授与されました.他に照明とリノベーションのカテゴリーがあります.学会初日の最後にレセプションパーティーを兼ねた賞の発表会がありました.

以下のページで受賞作がご覧になれます.


今回の受賞作品の中では,私はドイツにあるWeinbergbrueckeは見たことがありました.非常に面白い橋だったので,そのうちこのブログでも取り上げてみたいと思います.


Weinbergbruecke
ちなみにパーティーで用意されてた白ワインは、(当然のように)コレでした.

参照> 新年を橋梁デザインな紅白のワインで祝う 



キーノート・レクチャー


橋ではなくてシェルですが,構造分野のデジタルファブリケーションという点では間違いなく最先端を走っているPhilippe Block氏から,映画ディレクターのRobert Schwentke氏まで,キーノートのプレゼンターは多種多様で,さすがの顔ぶれでした.

シュトゥットガルトのエンジニア,ヤン・クニッパーズ(Jan Knippers)氏は,軽量構造をそろそろ考え直す時ではないかという話.彼の講演は何回か聴いていますが,ここまではっきりと言い切ったのは初めてのような気がします.


ヤン・クニッパーズ(Jan Knippers)氏
実務や,大学の研究室ITKEでの研究や一連のパビリオンなどの実作を通して,自分の方向性を論理付け始める段階に達したのかな,と勝手に想像しました.シュトゥットガルトは,エンジニアの文化が豊潤ですが,裏を返せば競争は熾烈を極めていると言えます.

現状では,ゾーベックの最小エネルギーのコンセプト(超軽量構造)との違いを鮮明にしなくてはシュトゥットガルトでは目立つことは出来ないと言えるでしょう.クニッパーズ氏は,木橋によるサステイナブルな設計論,デジタルファブリケーションとカーボンとの融合といったあたりで独自性があります.


ジリ・ストラスキー(Jiri Strasky)氏
ジリ・ストラスキー(Jiri Strasky)氏は相変わらず実直に,ジオメトリカルに構造システムを追求されているのが素晴らしかった.ドイツ勢のような哲学的な話をされることはほとんどなく,作っている橋にはさほど派手さはないのですが,いつも端正で美しい.


マルク・ミムラム(Marc Mimram)氏
マルク・ミムラム(Marc Mimram)氏は橋とランドスケープの関係のお話."パブリックスペースとしての橋"は最近の流行りですが,氏はソルフェリーノ橋の時点ですでにその方向で考えていたのはさすがの一言.

その他の講演


以下,興味深かったものをいくつかご紹介.マテリアルのセッションは面白くて,時間の許す限り聴きに行きました.例えば,カーボンコンクリートで16mのスパン(幅員3m)を桁厚9cmで実現したもの.


カーボンコンクリート
高価なCFRPをフランジに、ウェブをGFRPに使用して経済性を追求したプレートガーダー. 


カーボンのプレートガーダー
Bio basedの新素材で作られた歩道橋.湿気に弱いのがまだ改良点.


Bio basedの新素材で作られた歩道橋
他にもHerr氏の教育論も面白かった.歩道橋デザインにも教育が必要なのに,この学会にほとんどこのテーマの論文がない(確か5編のみ)のは何事とお怒り.教育にコンペは非常に有効だけど、失敗を恐れさせないのが何より重要という,もっともなご意見など.


Herr氏の教育論
実作の発表部門も当然面白かった.昨年インタビューさせて頂いた,コンツェット氏は,2作品発表されていました.小さい橋でもツーリストを惹きつけられるよ、とおっしゃっていたのですが,これはまさに私達がインタビューして執筆したテーマでした.

参照> アルプスの橋梁デザイン(橋梁と基礎201710月号)


コンツェット氏
ヴィアマラ(Viamala)にまた一つ新しい橋をかけたとのこと.わずか数mの小さな橋ですが,一橋でよいのに,提案してわざわざ二橋にして設計.この人は普通の橋梁エンジニアリングから捉えようとすると,本当に一筋縄ではいきません.

もう一橋のFrauenfeldの歩道橋は,ポストテンションによるコンクリートの連続桁橋ですが,インテグラルにするために橋台を建てなかったそうです.橋台手前の橋脚をコンクリートヒンジによるペンデル橋脚として,余計な応力を発生しないようにしています.シンプルに見えて,細部でこだわりを見せるコンツェット氏らしい橋でした.

sbpアンドレアス・カイル(Andreas Keil)氏は発注者より,非対称な地盤条件で安価な案を求められて,曲がった主塔の斜張橋を提案しました.主塔を曲げたのは、土地の特性から飛行機のイメージで,もちろん主塔に曲げは発生しません.


アンドレアス・カイル(Andreas Keil)氏
学会のトリは,以前このブログでも取り上げた「THE FLOATING PIERS」のお話.プレゼンターのヴォルフガング・ヴォルツ(Wolfgang Volz)氏は,写真家ですが,1971年にクリスト・ジャンヌクロード夫妻に出会って以降,作品の撮影のみならず,ディレクターやマネージャーとしてずっと彼らと協働してきた方.

参照> たったの16日間のために50年と一億円以上をかけた橋 「THE FLOATING PIERS」 


「THE FLOATING PIERS」
いくつかの裏話もありましたが,私が驚いたのは,この橋の浮きとなるキューブ.既存のものではクリスト氏の満足の行く形のものが見つからず,全て自分たちで作ったそうです.自分たちで全ての制作費を賄うというストーリーには驚かされたものですが,だからと言って,作品の質に対しても一切妥協しないんだなと,改めて驚かされました.


**

当日の模様は,本国際学会のホームページにアップロードされた写真でどなたでも見ることができます.


また,本学会で発表された論文は,開催から半年後の来年201836日より土木構造物や建築物を集めたオンラインデータベース「Structurae」(structurae.info)上で,全て閲覧可能になります.

参照> Footbridge 2017 Berlin - Conference Proceedings 6-8.9.2017 TU-Berlin

橋梁の技術よりも,設計思想やデザインにより多くの焦点を当てているという点で,非常に特色のあるユニークな国際学会でした.次回は2020年,スペインのマドリッドでの開催予定です.


11/26/2017

構造エンジニアという職能の誕生 - エッフェルの橋が先か,パリの機械館が先か


ポルトのドウロ川(Douro River)には,大きな橋が6つ架かっていますが,その中でもマリア・ピア橋(Ponte Maria Pia)はギュスターヴ・エッフェル(Gustave Eiffel)が設計した橋として有名です.

錬鉄製の2ヒンジアーチ橋で,リスボンに向かう鉄道路線のための橋でしたが,1991年にその役目を隣にかかる橋に受け渡し,現役としては使われていません.

1875年に国際コンペが行われ,エッフェルが一位を取りました.水面からの高さは約60m.川の中に橋脚を立てるよりも,160mという当時世界最大のスパンを飛ばしたほうが経済的になるという試算でした.エッフェルの設計案は最もコストが低く、2位のプランと比べても31%も安かった.2位の案も同じくアーチ橋でしたが,スパン中央の一箇所で桁を支えるためだけにアーチを使用していました.一方,エッフェル案では複数の鉛直材で桁を支えるシステムとして,アーチをより合理的に使用しています.


また,後述しますが,アーチの足元をヒンジにした点も経済的には大きなアドバンテージになりました.アーチの梁せいは足元から上に向かって徐々に大きくなっていき,橋を横から見ると三日月型になっています.

一方で横幅は,足元で最も大きく,上に向かって徐々に小さくなっていきます.足元で踏ん張るという形で,風荷重など横向きの荷重に足しても合理的なフォルムになっています.エッフェル塔を挙げるまでもなく,この合理的な
3次元のフォルムの美しさこそがエッフェルの真骨頂だと思います.



エッフェルは当時若干43歳.この橋が彼にとって初めてのフランス外でのプロジェクトになりました.世界最大のスパン長という条件に対して,2位以下を大きく引き離す高い経済性を,美しいフォルムで提案し,それを実現させた力量はただただすごいの一言.

この橋はずっと前から見たい橋の一つでした.理由は,この橋の質が高いからというだけではなく,この橋について昔同僚と議論したことがあるからです.


話はベルリン工科大学在籍時に「Tragwerkslehre」という授業のお手伝いをしていた時に遡ります.意訳すれば「構造デザイン講義」とでも呼ぶべきこの講義は,建築や橋梁のフォルムや構造,その歴史的発展を写真やスケッチなどで解説するものでした.

構造力学や材料力学といった「理論」をいかにして,実際的な「フォルム」へと翻訳するかという点において,構造デザインの教育上では非常に大きな役割を果たしていて,シュトゥットガルト・スクールでは,レオンハルトの同僚であった建築家Curt Siegel(クルト・ジーゲル)が始めたと言われています.

その講義の中で,ヨルク・シュライヒは,1889年のパリの機械館(Galerie des machines)に,構造エンジニアという職能の誕生を定義しているという解説がありました.

構造エンジニアという職能の誕生をどう定義するか?

例えば,18世紀ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂(St. Peter's Basilica)のドームに発生した亀裂に対する調査こそが,エンジニアの誕生にあたるという人もいます.1743年,調査にあたった数学者らは,仮想仕事の原理を用いてドームの円周方向に補強が必要であると結論づけました.言わずもがな,仮想仕事の原理は有限要素法など現代の構造解析においても,その根幹を成す科学的な理論です.

しかしシュライヒは,それは構造解析をする人(独語:Statiker)の誕生であって,構造エンジニア(Ingenieur)の誕生ではない,と言います.すでに建てられた構造物の安全性を証明した瞬間ではなく,固有の新しい構造フォルムを発明した瞬間こそが,エンジニアの誕生であるべきだろうと.

機械館 This work is in the public domain, and the source of this image is currently unknown

機械館は,1889年のパリの万国博覧会においてパビリオンとして建設されたホールで,エッフェル塔と並び,その規模と最先端の技術で世界の注目を集めました.当時まだ新しかった鋼鉄が用いられ,スパン約111m,ライズ43.5m3ヒンジアーチ(三鉸式アーチ)で,奥行き420mの無柱の大空間を実現しました.それまで最大であったセント・パンクラス駅(St. Pancras station)のスパン73m(ライズ25m)を抜き去ります.

3ヒンジアーチを初めて屋根構造物に適用した例[4]として知られます.これにより,静定構造として解析できるようになり,かなりの精度で構造計算できました.アーチはトラス状に組まれていて,約3.5mの梁せいに対して,その幅はおよそ5分の一の75cm

機械館  This work is in the public domain, and the source of this image is currently unknown

スイスの建築史家であるギーディオンは著書「空間・時間・建築」(1938)の中で,石造アーチに見慣れた目にはかなり奇異に映るプロポーションである,と批判的に書いています.また,フィーレンデール(その名の付いたトラスの考案者)氏のこの空間はあまりにもemptyに過ぎるというコメントを引用しています.この機械館が当時いかに,センセーショナルであったかが分かります.

今回,注目したいのは,このアーチの足元のヒンジ.

それまでに考えられていた自然の法則に従えば,アーチは頂点から足元に向かって幅が大きく,太くなっていくのが当然です.しかし,ここではエンジニアが知識と想像力を駆使して,それまでの常識を打ち破る,全く新しいフォルムを作り出しました.従来とは逆に,足元のヒンジに向かってアーチの幅が小さくなっています.ここに,シュライヒは構造エンジニアの職能の誕生を見ています.

それは同時に,「構造力学の知識がない人,あるいは力の流れを想像できない人,つまりはアーキテクトから,駅舎の大屋根や橋といった構造物の設計機会を取り上げる」ことになりました.この時を堺にマスタービルダーという職能は,アーキテクトとエンジニアに分離したわけですが,「今日では幸運なことに協働という形で」両者は一緒に設計する機会が多くあります.

ここまでが長い前提.

この話を聞いた時に私が思い出したのが,今回取り上げたマリア・ピア橋でした.マリア・ピア橋の完成は
1877年.パリの機械館は1889年.もし足元のヒンジを構造デザインの萌芽と定義するのであれば,機械館より12年前に完成しているマリア・ピア橋がその栄誉に浴してもよいのでは?



この種の「発明者は誰か」という問題では,厳密に最初に実現したものよりも,注目を集め,よりセンセーショナルであったものがその座を勝ち取る場合が多々ある(から良いのでは)というのが同僚の意見でした.

エッフェル設計のアーチの鉄道橋ということでは,このマリア・ピア橋よりも,その7年後の1884年に竣工した,フランスのガラビの鉄道橋(またはギャラビの鉄道橋,Le Viaduc de Garabit)が有名です.2つの橋はよく似ていますが,細部を見ると確かに異なる.マリア・ピア橋を改善したのが,ガラビ橋と言えるでしょう.

デビッド・P. ビリントンは名著「塔と橋」の中で,マリア・ピア橋は「1877年までに建造された鉄製アーチ橋のなかで最高の構造芸術」であるとしながらも,「ガラビ橋はこれまでに建設された鉄製アーチの中の最高の構造芸術であり,エッフェルが建設した橋の傑作である」と述べています.

もしそうであるならば,マリア・ピア橋でなくてもガラビ橋が,ヒンジを使った最初の成功例ひいては,構造エンジニアの誕生の瞬間としても良いのではないかと思うのですが,屋根と橋という違いもあるかも知れません.上述したように,機械館は3ヒンジアーチを屋根に適用した初めての事例です.

この「構造エンジニアという職能の誕生」あるいは言い換えれば「構造デザインの誕生」というテーマについては,今後も継続的に調べて,自分なりの答えを見つけたいと思います.

ドン・ルイス1世橋


最後に,同じくドウロ川に架かっていてドン・ルイス1世橋(Ponte Dom Luís I)を簡単に紹介.



マリア・ピア橋から9年後の1886年に完成した橋ですが,あまりお目にかかれない2階建てのアーチ橋で,上層は歩行者とメトロ用に、下層は自動車と歩行者用になっています.

設計は,エッフェルの弟子で,マリア・ピア橋の設計にも携わっていたドイツ人のテオフィロ・セイリグ(Théophile Seyrig.実は1879年に,エッフェルはドウロ川に新橋を架けることを提案しましたが,急激な人口増加でその計画は受け入れられませんでした.

新計画のもと1880年にコンペが実施され,エッフェルも参加しましたが,勝ったのはブリュッセルの会社.この勝利チームを率いていたのが,エッフェルの会社から転職していたセイリグでした.つまり偉大な師を負かして取ったプロジェクトだったわけですね.



ヒンジアーチというシステムや設計者の名前などで,エンジニアにはマリア・ピア橋が重要視されますが,世界遺産に登録されている旧市街地という場所柄や,観光客の多さで一般的な注目を受けるのは,圧倒的にドン・ルイス1世橋,というのが面白いですね.

ドウロ川には他にも,エンジニアであるエドガル・カルドーゾ(Edgar Cardoso)氏による注目すべき非常に美しいサン・ジョアン橋(Ponte de São João)なども架かっています.(詳細はまたいつか)これらの6橋は,ドン・ルイス1世橋の近くから出ている2時間ほどのクルージングで堪能できます.

サン・ジョアン橋(Ponte de São João)

[基本情報]

名称:
マリア・ピア橋(Ponte Maria Pia / Pia Maria Bridge
完成年:
1877
機能、種類:
鉄道橋 (out of service)
設計
Théophile Seyrig (engineer) and Gustave Eiffel (engineer)
施工
Eiffel et Cie
構造形式
アーチ橋
材料
錬鉄
規模:
橋長563m
アーチ支間長160m
幅員6.0m
位置:
41° 8' 23.38" N    8° 35' 49.23" W
ポルトガル, ポルト, ドウロ川(Douro River
アクセス:
車 あるいは クルージングで

名称:
ドン・ルイス1世橋(Ponte de Dom Luís
完成年:
1886
機能、種類:
upper deck: Tramway, light or metro rail bridge
lower deck: Road bridge
設計
Théophile Seyrig (engineer)
Léopold Valentin (architect)
施工
Société Willebroeck
構造形式
アーチ橋
規模:
橋長 385m
アーチ支間長172m
幅員 8m
位置:
41° 8' 24.05" N    8° 36' 33.98" W
ポルトガル, ポルト, ドウロ川(Douro River
アクセス:
トラム あるいは クルージングで


 [参考文献]
[1]
P. 10
[2]
- サン・ピエトロ大聖堂 P.71-
- パリ万国博覧会のために建設された機械館 P.60-
- ギャラビの橋 P.58-
[3]
P.79-
[4]
P.382-385
[5]
ギーディオン「空間・時間・建築」
Space, Time and Architecture: The Growth of a New Tradition, Sigfried Giedion, Harvard University Press, 1967
[6]

マリア・ピア橋(Ponte Maria Pia
[7]
ドン・ルイス1世橋(Ponte de Dom Luís
[8]
Théophile Seyrig
[9]
機械館

author visited: 2017-10