スパン35メートルからのデザイン・ブログ

軽量・構造・デザイン


ポルトのドウロ川(Douro River)には,大きな橋が6つ架かっていますが,その中でもマリア・ピア橋(Ponte Maria Pia)はギュスターヴ・エッフェル(Gustave Eiffel)が設計した橋として有名です.

錬鉄製の2ヒンジアーチ橋で,リスボンに向かう鉄道路線のための橋でしたが,1991年にその役目を隣にかかる橋に受け渡し,現役としては使われていません.

1875年に国際コンペが行われ,エッフェルが一位を取りました.水面からの高さは約60m.川の中に橋脚を立てるよりも,160mという当時世界最大のスパンを飛ばしたほうが経済的になるという試算でした.エッフェルの設計案は最もコストが低く、2位のプランと比べても31%も安かった.2位の案も同じくアーチ橋でしたが,スパン中央の一箇所で桁を支えるためだけにアーチを使用していました.一方,エッフェル案では複数の鉛直材で桁を支えるシステムとして,アーチをより合理的に使用しています.


また,後述しますが,アーチの足元をヒンジにした点も経済的には大きなアドバンテージになりました.アーチの梁せいは足元から上に向かって徐々に大きくなっていき,橋を横から見ると三日月型になっています.

一方で横幅は,足元で最も大きく,上に向かって徐々に小さくなっていきます.足元で踏ん張るという形で,風荷重など横向きの荷重に足しても合理的なフォルムになっています.エッフェル塔を挙げるまでもなく,この合理的な
3次元のフォルムの美しさこそがエッフェルの真骨頂だと思います.



エッフェルは当時若干43歳.この橋が彼にとって初めてのフランス外でのプロジェクトになりました.世界最大のスパン長という条件に対して,2位以下を大きく引き離す高い経済性を,美しいフォルムで提案し,それを実現させた力量はただただすごいの一言.

この橋はずっと前から見たい橋の一つでした.理由は,この橋の質が高いからというだけではなく,この橋について昔同僚と議論したことがあるからです.


話はベルリン工科大学在籍時に「Tragwerkslehre」という授業のお手伝いをしていた時に遡ります.意訳すれば「構造デザイン講義」とでも呼ぶべきこの講義は,建築や橋梁のフォルムや構造,その歴史的発展を写真やスケッチなどで解説するものでした.

構造力学や材料力学といった「理論」をいかにして,実際的な「フォルム」へと翻訳するかという点において,構造デザインの教育上では非常に大きな役割を果たしていて,シュトゥットガルト・スクールでは,レオンハルトの同僚であった建築家Curt Siegel(クルト・ジーゲル)が始めたと言われています.

その講義の中で,ヨルク・シュライヒは,1889年のパリの機械館(Galerie des machines)に,構造エンジニアという職能の誕生を定義しているという解説がありました.

構造エンジニアという職能の誕生をどう定義するか?

例えば,18世紀ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂(St. Peter's Basilica)のドームに発生した亀裂に対する調査こそが,エンジニアの誕生にあたるという人もいます.1743年,調査にあたった数学者らは,仮想仕事の原理を用いてドームの円周方向に補強が必要であると結論づけました.言わずもがな,仮想仕事の原理は有限要素法など現代の構造解析においても,その根幹を成す科学的な理論です.

しかしシュライヒは,それは構造解析をする人(独語:Statiker)の誕生であって,構造エンジニア(Ingenieur)の誕生ではない,と言います.すでに建てられた構造物の安全性を証明した瞬間ではなく,固有の新しい構造フォルムを発明した瞬間こそが,エンジニアの誕生であるべきだろうと.

機械館 This work is in the public domain, and the source of this image is currently unknown

機械館は,1889年のパリの万国博覧会においてパビリオンとして建設されたホールで,エッフェル塔と並び,その規模と最先端の技術で世界の注目を集めました.当時まだ新しかった鋼鉄が用いられ,スパン約111m,ライズ43.5mの3ヒンジアーチ(三鉸式アーチ)で,奥行き420mの無柱の大空間を実現しました.それまで最大であったセント・パンクラス駅(St. Pancras station)のスパン73m(ライズ25m)を抜き去ります.

3ヒンジアーチを初めて屋根構造物に適用した例[4]として知られます.これにより,静定構造として解析できるようになり,かなりの精度で構造計算できました.アーチはトラス状に組まれていて,約3.5mの梁せいに対して,その幅はおよそ5分の一の75cm.

機械館  This work is in the public domain, and the source of this image is currently unknown

スイスの建築史家であるギーディオンは著書「空間・時間・建築」(1938)の中で,石造アーチに見慣れた目にはかなり奇異に映るプロポーションである,と批判的に書いています.また,フィーレンデール(その名の付いたトラスの考案者)氏の“この空間はあまりにもemptyに過ぎる“というコメントを引用しています.この機械館が当時いかに,センセーショナルであったかが分かります.

今回,注目したいのは,このアーチの足元のヒンジ.

それまでに考えられていた自然の法則に従えば,アーチは頂点から足元に向かって幅が大きく,太くなっていくのが当然です.しかし,ここではエンジニアが知識と想像力を駆使して,それまでの常識を打ち破る,全く新しいフォルムを作り出しました.従来とは逆に,足元のヒンジに向かってアーチの幅が小さくなっています.ここに,シュライヒは構造エンジニアの職能の誕生を見ています.

それは同時に,「構造力学の知識がない人,あるいは力の流れを想像できない人,つまりはアーキテクトから,駅舎の大屋根や橋といった構造物の設計機会を取り上げる」ことになりました.この時を堺にマスタービルダーという職能は,アーキテクトとエンジニアに分離したわけですが,「今日では幸運なことに協働という形で」両者は一緒に設計する機会が多くあります.

ここまでが長い前提.

この話を聞いた時に私が思い出したのが,今回取り上げたマリア・ピア橋でした.マリア・ピア橋の完成は
1877年.パリの機械館は1889年.もし足元のヒンジを構造デザインの萌芽と定義するのであれば,機械館より12年前に完成しているマリア・ピア橋がその栄誉に浴してもよいのでは?



この種の「発明者は誰か」という問題では,厳密に最初に実現したものよりも,注目を集め,よりセンセーショナルであったものがその座を勝ち取る場合が多々ある(から良いのでは)というのが同僚の意見でした.

エッフェル設計のアーチの鉄道橋ということでは,このマリア・ピア橋よりも,その7年後の1884年に竣工した,フランスのガラビの鉄道橋(またはギャラビの鉄道橋,Le Viaduc de Garabit)が有名です.2つの橋はよく似ていますが,細部を見ると確かに異なる.マリア・ピア橋を改善したのが,ガラビ橋と言えるでしょう.

デビッド・P. ビリントンは名著「塔と橋」の中で,マリア・ピア橋は「1877年までに建造された鉄製アーチ橋のなかで最高の構造芸術」であるとしながらも,「ガラビ橋はこれまでに建設された鉄製アーチの中の最高の構造芸術であり,エッフェルが建設した橋の傑作である」と述べています.

もしそうであるならば,マリア・ピア橋でなくてもガラビ橋が,ヒンジを使った最初の成功例ひいては,構造エンジニアの誕生の瞬間としても良いのではないかと思うのですが,屋根と橋という違いもあるかも知れません.上述したように,機械館は3ヒンジアーチを屋根に適用した初めての事例です.

この「構造エンジニアという職能の誕生」あるいは言い換えれば「構造デザインの誕生」というテーマについては,今後も継続的に調べて,自分なりの答えを見つけたいと思います.

ドン・ルイス1世橋


最後に,同じくドウロ川に架かっていてドン・ルイス1世橋(Ponte Dom Luís I)を簡単に紹介.



マリア・ピア橋から9年後の1886年に完成した橋ですが,あまりお目にかかれない2階建てのアーチ橋で,上層は歩行者とメトロ用に、下層は自動車と歩行者用になっています.

設計は,エッフェルの弟子で,マリア・ピア橋の設計にも携わっていたドイツ人のテオフィロ・セイリグ(Théophile Seyrig).実は1879年に,エッフェルはドウロ川に新橋を架けることを提案しましたが,急激な人口増加でその計画は受け入れられませんでした.

新計画のもと1880年にコンペが実施され,エッフェルも参加しましたが,勝ったのはブリュッセルの会社.この勝利チームを率いていたのが,エッフェルの会社から転職していたセイリグでした.つまり偉大な師を負かして取ったプロジェクトだったわけですね.



ヒンジアーチというシステムや設計者の名前などで,エンジニアにはマリア・ピア橋が重要視されますが,世界遺産に登録されている旧市街地という場所柄や,観光客の多さで一般的な注目を受けるのは,圧倒的にドン・ルイス1世橋,というのが面白いですね.

ドウロ川には他にも,エンジニアであるエドガル・カルドーゾ(Edgar Cardoso)氏による注目すべき非常に美しいサン・ジョアン橋(Ponte de São João)なども架かっています.(詳細はまたいつか)これらの6橋は,ドン・ルイス1世橋の近くから出ている2時間ほどのクルージングで堪能できます.

サン・ジョアン橋(Ponte de São João)

[基本情報]

名称:
マリア・ピア橋(Ponte Maria Pia / Pia Maria Bridge)
完成年:
1877
機能、種類:
鉄道橋 (out of service)
設計:
Théophile Seyrig (engineer) and Gustave Eiffel (engineer)
施工:
Eiffel et Cie
構造形式:
アーチ橋
材料:
錬鉄
規模:
橋長563m
アーチ支間長160m
幅員6.0m
位置:
41° 8' 23.38" N    8° 35' 49.23" W
ポルトガル, ポルト, ドウロ川(Douro River)
アクセス:
車 あるいは クルージングで

名称:
ドン・ルイス1世橋(Ponte de Dom Luís)
完成年:
1886
機能、種類:
upper deck: Tramway, light or metro rail bridge
lower deck: Road bridge
設計:
Théophile Seyrig (engineer)
Léopold Valentin (architect)
施工:
Société Willebroeck
構造形式:
アーチ橋
規模:
橋長 385m
アーチ支間長172m
幅員 8m
位置:
41° 8' 24.05" N    8° 36' 33.98" W
ポルトガル, ポルト, ドウロ川(Douro River)
アクセス:
トラム あるいは クルージングで


 [参考文献]
[1]
Leicht Weit/Light Structures - Jorge Schlaich Rudolf Bergermann,‎ Annette Bögle (編),‎ Peter Cachola Schmal (編),‎ Ingeborg Flagge (編),
Prestel Publication (2004)
P. 10
[2]
建築構造のしくみ―力の流れとかたち(建築の絵本), 川口衞,阿部優,松谷宥彦,川崎一雄,彰国社,第1版 (1990)
- サン・ピエトロ大聖堂 P.71-
- パリ万国博覧会のために建設された機械館 P.60-
- ギャラビの橋 P.58-
[3]
塔と橋―構造芸術の誕生,デビッド・P.ビリントン(著), 伊藤学+杉山和雄(監訳), 海洋架橋調査会(訳),鹿島出版会(2001)
P.79-
[4]
Building: 3,000 Years of Design, Engineering and Construction, Bill Addis (著), Phaidon Press, 2007
P.382-385
[5]
ギーディオン「空間・時間・建築」
Space, Time and Architecture: The Growth of a New Tradition, Sigfried Giedion, Harvard University Press, 1967
https://books.google.de/books?id=ZHZnmKxkGMwC&printsec=frontcover&hl=ja#v=onepage&q&f=false
[6]

マリア・ピア橋(Ponte Maria Pia)
https://structurae.net/structures/maria-pia-bridge
https://en.wikipedia.org/wiki/Maria_Pia_Bridge
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A2%E6%A9%8B
[7]
ドン・ルイス1世橋(Ponte de Dom Luís)
https://structurae.net/structures/dom-luis-i-bridge
https://en.wikipedia.org/wiki/Dom_Lu%C3%ADs_I_Bridge
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B91%E4%B8%96%E6%A9%8B
[8]
Théophile Seyrig
https://en.wikipedia.org/wiki/Th%C3%A9ophile_Seyrig
[9]
機械館
https://en.wikipedia.org/wiki/Galerie_des_machines#cite_note-FOOTNOTEGiedion1967271-8

author visited: 2017-10


Share

個人的な話になりますが,以前,可動構造物を研究しているときに,折り紙研究者の舘さんと建築家の岩元さんと協働で「やわらかな剛体」というものをコンペで提案したことがあります.

建築・土木構造物は,外力に対抗するために剛性を必要とします.つまり「やわらかな剛体」というのは相反する意味合いを意図的に組み合わせた名前でした.構造物の可動性は,剛性をどうコントロールするかという問題に行き着きます.しかしながらそれは,建築や土木の規模の構造物では簡単に解決できることではない.結果として,可動式の屋根や橋のほとんどは,実にプリミティブなシステムのものに限定されます.


可動式のものに限らず,こうした「やわらかさ」を求めたデザインは,近年特に学生の手によるパビリオンなどでよく見ますが,そのほとんどのものが残念ながら構造物としては質が高いものにはなり得ていません.

前置きが長くなりましたが,ここからが本題.

先日,こうした「やわらかさ」を大規模な構造物として実現したアート作品を見る機会がありました.アメリカ人のジャネット・エシェルマン(Janet Echelman)の作品「She Changes」.ポルトガルのポルトの海岸沿いに建てられました.


ラウンドアバウトの中央スペースの,高さ30mほどの宙に浮かんだネットが,風に吹かれてゆらぎ,実に不思議な印象を見る者に与えます.直径約45mと,これだけ大規模なもので,これほど「やわらかい」ものはなかなかお目にかかれません.


放射状にケーブルで補剛された,いわゆるスポークホイール型の鋼製のリングが,周辺に立てられた3本のマストで引っ張り上げられています.PTFE製のネットはリングの外周と中心で支えられています.「剛」の静止したリングと「柔」のネットを組み合わせて,「やわからな剛体」を実現しています.

構造解析ができるエンジニアをなかなか見つけられず,最終的にはヨットレースの帆を設計している航空エンジニアを見つけて,ようやく実現に漕ぎ着けられたそう.完成は2005年なのでもう10年以上問題なく建っているようです.

アーチストによると,インドでの展覧会を間近に控えて,届くはずの自分の作品が届かないという逆境に,このネットで吊るという作品のアイデアが閃いたそう.海辺を歩いていて漁師が網を使っているのを見て,網であれば材料も,お金もかけずに巨大な彫刻作品を作れる,と.少ない材料で経済的にそして効率的に大スパンを覆うという,まさに軽量構造の利点とのシンクロが面白いですね.


一点だけ気になったのは,これが恒久的なアートのインスタレーションとして本当に適しているのかという点.完成から10年以上経っていて,老朽化が目につきました.

特に気になったのはカラーリング.リングやネットの赤色はおそらく完成当時はもっと鮮やかなものだったでしょう.おそらく今よりももっと人目を引く作品であったはず.彼女の新しい作品の写真をネットで見ると,どれもできたばかりのものは色鮮かやで,とても魅力的に見えます.当然ながら,外に建てられた構造物はどんどん老朽化していく宿命にあります.カラーリングの,特に彩度に頼ってしまうのは,この種のものとしては危険であるように思いました.



[基本情報]

名称:
She Changes
完成年:
2005
設計:
Artist  Janet Echelman
位置:
Anémona, Praça da Cidade do Salvador, 4100 Matosinhos, Portgal
41.17338, -8.68873
アクセス:
公共交通機関としては地下鉄とバスがあります

[参考]
[1]
https://en.wikipedia.org/wiki/She_Changes
[2]
https://www.ted.com/talks/janet_echelman?language=ja#t-458338
[3]
http://logmi.jp/35553

author visited: 2017-10


Share

ポルトガル第三の都市,コインブラにかかる歩道橋「ペドロ・イネス(Pedro eInês)橋」を見てきました.

モンデゴ川(Rio Mondego)は,緩やかな流れの川ですが,冬に度々洪水を起こします.そこで必要とされる大きな洪水域を,普段は緑地公園として使うために,一帯が整備されました.この橋はその整備の一環で架けられました.


この橋は2006年の竣工当時だいぶ話題にになりました.私のまわりはエンジニアばかりでしたので,批判の方が大きかった記憶があります.理由は言わずもがな,立面で見れば普通のアーチ橋なのに,橋を真ん中で切って平面でずらしている点です.これにより余分な力が発生するので,力学的合理性や経済性という観点からはなかなか理解し難い.


この不思議な橋を構想したのは,当時ARUPのスター・エンジニアであったセシル・バルモンド(Cecil Balmond).エンジニアがこういう不合理な発想をするものかというのも,一つの議論の的でした.

バルモンドのスケッチやメモから,この橋の構想過程がよく分かります.a+u[1]に載っている彼の思考メモをそのまま信じれば,平面システムそして立面システム(アーチ)という順番にこの橋を構想したようです.順を追って記述してみます.

1. 平面システム “橋はまっすぐ架けるべきか“

A地点からB地点を障害物を乗り越えながら最短距離で(つまり多くの場合直線で)つなぐのが一般的に橋に求められる機能ですが,橋の設計に参加する多くの建築家がそうであるように,バルモンドはまずこの大前提の再解釈から始めています.

例えば深い谷にかかる橋では,歩行者はその高さに恐怖を感じるので,直線という最短距離で対岸に渡りたがる.しかし,この架設場所のように,桁下高さが小さく,穏やかな流れの川の上を渡る時は,恐怖感は持たず,心に余裕がある.それでも橋をまっすぐに架けるべきか?


川の上にまっすぐに架けられた橋は「その軌跡に一切の変化を受けない投射物のように,加速をつけながら水の上を飛び越えていく軌道」であり,「直線が端的に内包している方向性のあるエネルギー,力の視覚化」によってそのイメージが形成されます.

「純粋な矢の飛行は自己中心的なものであり、そこに『そのもの - 自然』を保つことに全面的にとらわれている.(The pure arrows flight is self-centered wholly preoccupied with keeping “that thing - Nature” out there.」思考のメモなので非常に難解ですが私は,まっすぐに橋を架けようとすることは,周辺地域に出来るだけ影響を及ぼさないようにするという橋梁設計の”規範”に囚われすぎている,という感じに理解しました.

つまり,彼は,この美しい川の上に,橋をまっすぐ架けることに対して疑問を持ちました.橋をまっすぐに架ければ,対岸へ渡ることだけを強制してしまう.美しい川の上で立ち止まり,さまよう,あるいは眺望を楽しんでもらうにはどうするべきか?


そこで,橋を真ん中で切ってしまう,相互に出会うことのない2つの部分からなる橋というアイデアに行き着きます.2つの片持ちによって,橋の中央には浮かんだプラットフォームができます.ここで生まれる歩行者のアクティビティこそが,バルモンドが意図した効率性重視への信念の否定です.

「ペドロとイネス(Pedro eInês」」は,結ばれなかった2人の悲恋の物語で,相互に出会うことのないこの橋の名の由来になっています.ですが,それは後付のよう.

2 立面システム(アーチ)

付近に斜張橋が架かっているので,視覚的な衝突を避けるために,橋上に構造システムがあるものは避けたい.そして川の上を跳ねていく石をイメージして,下路橋であるアーチが選ばれました.ただ3連アーチにしてしまうと,川端での水平力を処理しなくてはいけません.地盤が悪く,杭が30mも必要になってしまうので,この端部でのアーチをなくしました.結果,半アーチ(64m)+アーチ(110m)+半アーチ(64m)という構造になっています.


バルモンドによると,橋の平面での非対称性を反映するために,断面においてアーチの位置を桁中央ではなく外側に偏心させています.が,さらに余計なねじりが発生すると思うので,私としてはこの力学的な意味は未だによく分かりません.


青とピンクと緑と黄色のガラスで作られた,まるでステンドガラスのような高欄がこの橋のもうひとつの大きな特徴です.まっすぐではない橋という特性を,高欄にも反映するためにあえて曲げる.そして,水面からの反射をとらえて互いにきらめかせるために,各ガラスパネルは3次元に配置されています.

この数学的に制御された美しい高欄は,まさにバルモンドの真骨頂という気がしました.これほどデザインされた高欄というのはなかなかお目にかかれません.と,同時に,バルモンドが本質的には橋梁エンジニアではないという何よりの証とも思います.

橋梁エンジニアは,ほとんどの場合高欄をシンプルにデザインします.メンテナンスの問題や経済性がその理由であるのは当然ですが,それ以外の理由として,橋梁デザインの本質は全体のフォルムに帰結する,と多くの橋梁エンジニアが考えているからです.つまり,細かいデザインは橋梁デザインの本質ではない.


私がこの橋を見て抱いた違和感は,構造システムのデザインと,こういうディテールのデザインのスケールがあまりにもジャンプしている点です.この橋は270mという歩道橋としてはかなりの規模のもの.それに対して大きな断面のアーチ構造にすることによって,実にシンプルな全体フォルムを形作っている.その構造のスケールに対して,高欄のデザインのスケールはあまりに小さい.バルモンドは橋の人ではないという印象を再確認しました.

なお,この橋の設計者としては,バルモンドの名前ばかり聞きますが,彼はこの橋においてはアーキテクトしてクレジットされていて,エンジニアは地元ポルトガルのAntónio Adão-da-Fonseca社.

先日ベルリンで行われた国際学会Footbridgeでこのエンジニアの方の講演を聞く機会がありました.氏によると,この平面でデッキをずらしたことにより,橋軸直角方向の剛性が飛躍的に向上したそう.アーキテクトの選んだフォルムにより,確かに力の不均衡を生んだが,最終的には美しい造形と力の均衡した形が最適化され,予想もできなかった相乗効果をもたらした,と結論していました.


結局とのところ,よく言われる構造的合理性という言葉も,相対的にしか定義され得ません.

ちなみに,彼らはバルモンドのことをarchitect/designerであり,元・構造エンジニア(former structural engineer)と表記していました.この橋のデザインアプローチを見れば,氏の特性は狭義の意味では,エンジニアのものではないのがよく分かります.そして,彼の今の仕事を見るとこの表記は正しいように思います.

2010年に東京で行われたバルモンドの展覧会は,私も見に行ったのですが,正直よく分からなかった.彼の書籍を読んでも,詩的な表現が並んでいて理解する意欲があまり沸かないというのが正直なところです.多分そういうエンジニアの方は多いのではないでしょうか.

しかし,こうして橋に対してのデザイン・アプローチを読み込んでみると,彼が言わんとしていること,物事の本質を捉えようとする姿勢はおぼろげに見えてくる気がします.


[基本情報]

名称:
Ponte Pedro e Inês
完成年:
2006
機能、種類:
歩道橋
設計:
Design: AFAssociados (António Adão-da-Fonseca (designer)) and Ove Arup & Partners (Cecil Balmond (architect))
Structural engineering: Renato Bastos (AFAssociados)
施工:
Soares da Costa
発注:
Coimbra city
受賞等:
(要調査)
構造形式:
アーチ橋
規模:
橋長274.5 m
支間割30.5 m - 64 m - 110 m - 64 m - 6 m
桁下高さ 10m
幅員4 m
位置:
Coimbra, Portugal
Mondego River
40° 12' 4.10" N    8° 25' 37.18" W
アクセス:
Coimbra駅より徒歩15分

[参考文献]
[1]
Cecil Balmond―a+u Special Issue (エー・アンド・ユー臨時増刊) 2006/11/1
[2]
インフォーマル –セシル バルモンド (著),‎ 2005/4/1
[3]
Renato O. Bastos, António Pimental A. Fonseca and António Adão da Fonseca
“Playing Structural Efficiency with Architects”, Footbridge 2017 Berlin - Tell A Story, 6-8.9.2017, Technische Universität Berlin (TU Berlin)
[4]
https://structurae.net/structures/pedro-and-ines-bridge
[5]
http://10plus1.jp/monthly/2010/03/issue1.php
「エレメント」オープン記念レクチャー, セシル・バルモンド
[6]
http://10plus1.jp/monthly/2010/03/issue2.php
セシル・バルモンドから未来の建築を見る, 福西健太
[7]
http://balmondstudio.com/
[8]
http://www.adfconsultores.com/projetos.asp?id=0&mi=2&tp=8&pr=89&ep=2&eq=1&me=1
Ponte Pedro Inês Rio Mondego, António Adão da Fonseca

author visited: 2017-10



Share
新しい投稿 前の投稿 ホーム

Author

Author
ドイツ在住の橋梁・構造エンジニア / email: motoi (at) masubuchi.de

Popular Posts

  • ジェノヴァの橋の崩壊は,設計者モランディの責任か
    ジェノヴァの橋  外観 [1] 先日(2018年8月14日)イタリアで起きた,ショッキングな 橋の 事故について.今回の事故は,維持管理の問題の側面が大きいかと思います.しかし,そちらの面からは,専門家の間で大いに議論されているように思いますので,ここでは設計...
  • ポルシェの形をしたパビリオン - 片持ちのシェルに構造的合理性はあるか?
    ベルリンから高速列車でおよそ1時間,ヴォルフスブルク (Wolfsburg) は、ドイツの自動車メーカー、フォルクスワーゲンの企業城下町です.中央駅から川を隔てたすぐ脇に,工場兼,テーマパークであるアウトシュタット(Autostadt)“自動車の街”があり,今回紹介す...
  • なぜ大雪で「くまがやドーム」の屋根が壊れたのか考えてみた
    関東地方を襲った大雪によって,インフラ,建築構造物にも多大な被害が出ていますね.心配しながらネットで各地の様子を見ていたのですが,その中で,熊谷市の「彩の国くまがやドーム」の屋根の壊れ方が少々気になったので考察してみました. https://twitter.com/hir...
  • フライ・オットーのプリツカー賞受賞の報と訃報に接して
    ミュンヘンオリンピック競技場 昨日(2015年3月10日),フライ・オットーの2015年のプリツカー賞受賞のニュースとともに,訃報が報じられました.受賞と訃報に関係はなく,本当に偶然だったようで,ただただ驚きました. プリツカー賞HPによると,受賞は今年の始め(2...
  • ウンシュトルト高架橋に見るヨルク・シュライヒの造形力
    前回のゲンゼバッハ高架橋( 1 , 2 )と同じく,Ebensfeld‐Leipzig/Halle間の高速新線上にあり,ほぼ同時期に施工されたのが,このウンシュトルト高架橋(Unstruttalbrücke)です. シュライヒ・ベルガーマン&パートナー事務...
  • たったの16日間のために50年と一億円以上をかけた橋 「THE FLOATING PIERS」
    The Floating Piers, Lake Iseo, Italy, 2014-16, Photo: Wolfgang Volz, © 2016 Christo, taken from http://www.thefloatingpiers.com/press/ ...
  • ジェノヴァの橋の崩壊は設計者モランディの責任か - 続報 - 現地に行ってみた
    2018年9月の状況(著者撮影)  (この記事には事故現場の写真が含まれますので閲覧にはご注意下さい.) 前回の記事 > ジェノヴァの橋の崩壊は,設計者モランディの責任か モランディの橋の事故からおよそ二ヶ月.先日書いた記事のアクセス数は5000を超えてい...
  • 構造エンジニアという職能の誕生 - エッフェルの橋が先か,パリの機械館が先か
    ポルトのドウロ川( Douro River )には,大きな橋が6つ架かっていますが,その中でもマリア・ピア橋( Ponte Maria Pia )はギュスターヴ・エッフェル( Gustave Eiffel )が設計した橋として有名です. 錬鉄製の 2 ヒンジアー...
  • 良い橋って何?という人のための橋梁デザイン入門 - モランディの傑作を教科書として
    驚くべきことに,晩夏のヴァーリ湖(Lago di Vagli)には全く水がなかったのである. 水面に浮かぶ凛とした姿が見れることを期待していたのに. 少々がっかりはしたけれど,しかし,それでもこの橋の佇まいには心打たれるものがあった. ...
  • ニューヨークのMOMAで語られた日本の構造家列伝(1/2)
    去る 2016 年の 4 月に,ニューヨーク近代美術館 (MOMA) で日本の構造家をテーマにした講演会「 Structured Lineages: Learning fromJapanese Structural Design 」が行われました.もう大分時間が経...

ラベル

  • a1_シェル (4)
  • a1_ドーム (1)
  • a1_パビリオン (5)
  • a1_環境建築 (1)
  • a3_ケーブル構造 (3)
  • a3_テンセグリティ (1)
  • a3_モノコック構造 (1)
  • a3_膜構造 (1)
  • a4_ステンレス鋼 (1)
  • a5_石積み構造 (1)
  • b1_鉄道橋 (11)
  • b1_道路橋 (3)
  • b1_歩道橋 (9)
  • b2_曲線橋 (1)
  • b3_アーチ橋 (2)
  • b3_インテグラル橋 (3)
  • b3_フィーレンデール橋 (2)
  • b3_斜張橋 (2)
  • b3_吊橋 (2)
  • b3_浮き橋 (1)
  • b4_RC/PC橋 (8)
  • b4_鋼橋 (4)
  • b4_合成・複合橋 (3)
  • b4_木橋 (1)
  • c01_[日本] (1)
  • c02_[ドイツ] (19)
  • c02_アルゴイ地方 (1)
  • c02_ヴォルフスブルク (1)
  • c02_ケンプテン (2)
  • c02_シュトゥットガルト (1)
  • c02_ベルリン (3)
  • c03_[スペイン] (4)
  • c03_バルセロナ (2)
  • c04_[オーストリア] (2)
  • c04_[スイス] (2)
  • c04_チューリッヒ (1)
  • c06_[アルプス地方] (3)
  • c07_[イタリア] (4)
  • c08_[ポルトガル] (3)
  • e_Carlos Fernández Casado (2)
  • e_Dr. Schütz Ingenieure (1)
  • e_Pedelta (2)
  • e_SOM (1)
  • e_エッフェル (1)
  • e_エンゲルズマン (1)
  • e_クニッパーズ (3)
  • e_シュライヒ_sbp (7)
  • e_シュライヒ_マイク (10)
  • e_シュライヒ_ヨルク (6)
  • e_セシル・バルモンド (1)
  • e_ゾーベック (3)
  • e_ビル・ベイカー (2)
  • e_フライ・オットー (2)
  • e_マイヤール (1)
  • e_マルテ・マルテ・アーキテクテン (1)
  • e_モランディ (3)
  • e_ユルク・コンツェット (1)
  • e_川口衞 (3)
  • f_アダプティブ構造 (1)
  • f_コンピュテーショナルデザイン (1)
  • f_バタフライウェブ (1)
  • f_レクチャー_Best of Engineering (2)
  • f_レクチャー_カーボンでつくる未来の建築 (2)
  • f_構造おもちゃ (2)
  • f_構造デザイン論 (5)
  • f_構造とアート (3)
  • f_講演 (6)
  • f_書籍 (9)
  • f_展覧会 (3)
  • f_土木デザイン (4)

Blog Archive

  • ►  2018 (7)
    • ►  10月 (3)
    • ►  8月 (2)
    • ►  3月 (1)
    • ►  2月 (1)
  • ▼  2017 (6)
    • ►  12月 (1)
    • ▼  11月 (5)
      • 構造エンジニアという職能の誕生 - エッフェルの橋が先か,パリの機械館が先か
      • やわらかな剛体 - ケーブル・ネットによる巨大アート作品
      • 橋はまっすぐ架けるべきか - コインブラの歩道橋からセシル・バルモンドとは何者かを考えてみる
      • ドクター・シュッツ・インジェニアの橋 ホーフェ橋
      • アルプスの橋梁デザイン
  • ►  2016 (5)
    • ►  12月 (1)
    • ►  8月 (2)
    • ►  2月 (2)
  • ►  2015 (10)
    • ►  11月 (2)
    • ►  10月 (2)
    • ►  9月 (1)
    • ►  5月 (1)
    • ►  3月 (1)
    • ►  2月 (3)
  • ►  2014 (19)
    • ►  5月 (1)
    • ►  4月 (2)
    • ►  3月 (4)
    • ►  2月 (12)
  • ►  2013 (3)
    • ►  12月 (3)
Copyright © 2015 スパン35メートルからのデザイン・ブログ

Created By ThemeXpose